なんちゃってニューヨーク

普通の人のアメリカ生活


Diagnosis ダイアグノーシス

昨日のブログの冒頭に、腹を立ててもすぐ忘れてしまえるのが特技、と書いた。書いてからそのことについて一日考えてみると、これは事実ではない….と気づいた。嘘っぱちとまでは言わないが、そういやあ、と思い出しては改めて腹がたつ出来事がいくつも頭に浮かぶ。全然忘れてないんじゃん!

出来事の直後に忘れてしまえるのは、心が広いとか気持ちの切り替えが早い、というのではなく、もしかしたら「あーストレスになっちゃうから他のこと考えよ!」という強い自己防衛本能の為せる技ではなかったか。なんて未熟なアラ還なんだ。

自己防衛本能の他に自分で密かに疑っているのはADHD。いまではすっかり

Household Name ハウスホールドネーム 誰でも知っている名前

となった脳神経系の発達障がい「注意欠如・多動性障害」である。

アメリカでは、人口の10%が、程度の差こそあれ持っているとされる発達障害のひとつだが、そもそもこれ、「障害」なのかい?というのはあとに書くとして、私が産んだ子供二人ががっつりADHDのダイアグノーシス(診断)を受けているので、私にもそのケがあってもなんの不思議もない。

一つのことに集中しようとしても次々に目に入ったもの、楽しそうなことに気を取られ、注意がふわふわと次の対象物に移っていく。私ももしかしたら腹がたったことを忘れるのではなく、次の対象物に感情が移行していくスピードが早いだけなんではなかろうか。直ぐに次のことに気持ちをうつろわせ、数分前の怒りを忘れてしまう…..だとしたら、ADHD、世間では虫のように忌み嫌われている感があるが、そんなに悪いものでもないじゃないか。

息子のADHD

母の日を祝いに実家に戻ってきてくれた長男は26歳になった。日本の幼稚園にいたときには特に大きな問題もなかったのに、アメリカの小学校に戻ってきてからの彼の人生はこのADHDのおかげで茨の道であった。

よく、幼稚園では大丈夫だったものがなぜ?と考えて思い当たったのは、①日本の幼稚園が楽しくて別に他のことに興味を飛ばしていく必要がなかった(私も行きたい!と思ったほど毎日楽しそうだった、そして初恋の竹内先生)。

そしてこれが大事なんだが、②その時々にどんな行動を取るのがふさわしいかの期待値が日本でははっきりと示されていた、の2点だった。

曹洞宗の幼稚園だったので夏のお泊まり会ではなんと「座禅」があった。まあ目を開けてキョロキョロしたりはしていただろうが問題なくそれを乗り越えた長男がなぜアメリカでは…..?

アメリカ精神医学学会のマニュアル

見回せば「オレ、ADHDなんだよねー」という人はうようよいるし、少なくとも私の周りでは真っ当な社会人としてみな立派に機能しており、長男がダイアグノーシスを受けた20年前のような悲壮感はない。まだ情報も乏しかった。

ADHDの定義や診断は、アメリカ精神医学学会が発行している Diagnostic and Statistical Manual For Mental Disorders (精神疾患の診断・統計マニュアル)、略してDSMと呼ばれる、いわゆる「精神疾患ずかん」に準拠する。長男の診断の頃はその改訂4版、DSM-IVが使われていた。

今見たらちゃっかり改訂版が出ていて、現在使われているのはDSM-5。改訂4版に比べ、5では成長後の対応や成人になってから診断を受ける人のための情報が増え、アンギザエティやうつ、学習障害などADHDの関連・相互疾患についても記載が明確になっているようだ。

ADHDと診断されるためには、注意欠如の9項目、多動性・衝動性の9項目のうち、それぞれ6項目以上当てはまっていることが求められる。学校や家庭など、違った環境においても同じ傾向を示すことや、過去6ヶ月間続けてそれらの症状が見られることなどの条件がつく。

マニュアルの改訂・変更点

改訂版4も5もそれは変わっていないのだが、いくつか「あら」と思う変更点が。

まず、初めてADHDを疑う症状が出始めた年齢が7才以前であることとされていた改訂4版に対し、5では12歳に引き上げられている。精神医学的根拠は私には分からないが、経験的にはこれは真っ当だと思う。うちの子の周りにも、特に女の子に「実はね」とかなり年齢が行ってから診断の出る子がたくさんいた。

そして、新改訂5版では、17才以上は各カテゴリーにおいて6項目ではなく5項目当てはまればビンゴでADHDと診断される。これも年齢とともにわきまえがついてきて、何が何でも今これがやりたいの!という衝動性を抑えられるといった社会的要素を考慮したものと思われる。

どちらの変更点も理にかなっていると思うんだが、私が気になるのはそもそも「変更がある」という点。日々新しい研究や診察結果のデータが増えそれを反映してより現実に近いマニュアルができていくと言うのは素晴らしいとは思うが、過去の、未熟なマニュアルで診断をされた子ども、変更されてしまうようなあやふやな(とまでは言わないが不完全な)マニュアルに沿ってレッテルを貼られてしまった子どもたちは。

ま、水掛け論だね。どんな精神、心理疾患についてもあてはまる悲しい歴史と現実。昔はうつの人に電気ショックだったんだもんね。

で、思うにね

医者でも心理学者でもないお母ちゃんの体験と見聞からいって、ADHDと診断されている人の大多数は「障害」と呼ぶにはほどとおい「特性」のあたりでウロウロしている気がする。服薬しなければどうしても集中することができないという人ももちろんいる。特性くらいで留まっている人も「障害」と呼ばれてしまうのは、彼らが特徴的に、組織の中で自分の居場所と歯車の大きさをうまく測って他人の歯車の歯にちゃんと引っかかっていくことがとても難しいという傾向のせいだ(と思う)。

ADHD on Steroids ステロイド強壮剤を飲んだくらいすごいADHD

と家族でからかった長男が今は激貧でこそあれ独り立ちして、毎晩自分でご飯をなんとか食べて真っ当に生きている。そんなことを長男をボロクソ言った小学校の先生たちに言っても信じないかも(ほら、忘れないで根に持ってるでしょう?笑)。

そして昨日はなんと「オレってほんとにADHDだったのかな」という。もしかして「好き嫌いが激しすぎただけなのかも。」

はっ!やりたくないことはやりたくなかった、ってこと?注意欠如ではなく好き嫌いの多い繊細さん、というのが由来だったのか?

長男のルームメイトは心配になるほどの注意欠如、それを見ていると「自分は限りなくマトモだ」と思うに至ったらしい。ルームメイトの話を聞いているとたしかに大変そうだが、服薬をして仕事もしているし一緒に住んでもいいぜと言ってくれる友だちもいるんだから「障害」て呼べるのかな。

ま、長男が教室で先生に迷惑をまったくかけなかったといえば嘘になるからその辺は一応気にはしながら、一体このダイアグノーシスって何?とつくづく考える。

加齢もあるが、自分を見ていてどう考えてもADHDだ、この私。すぐ忘れる、目移りがする、長続きがしない、気をつけないと部屋は散らかる、いつもチョロチョロ動き回っている、嫌なことをやりたくない、めんどくさいのが嫌い、とDSMを読めば読むほど確信が深まる、けどお医者さんに言ってもきっと診断が出ないだろう。「加齢ですよ、加齢」と言われている姿が目に浮かぶ。

ほんと、ダイアグノーシス、これもとてもパーソナルだ。とても主観的で、一つだけの正しい答えは存在しないんだ、としっかりわかっていないと人生をこのダイアグノーシスに振り回され、外から与えられた診断という型に自分自身を知らず知らずねじ込めてしまうようなことにもなりかねない。

Proceed with Caution.気をつけていきましょう。

**以上は私の経験と私見であり、医学的、心理学的に正確な情報に基づいたものではありません。自分や家族に精神疾患、障害、極端な特性を認めた場合は必ず専門家に相談をしてね。気持ち的に専門家の診断や意見にもやもやしてしまうのは患者あるあるだけれど、ご自分で情報を集め、必ず相談に行き、その上で最善の判断をご自分で下すようにしてください。****



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ニューヨークから40分南に下ったニュージャージー州から発信。だから「なんちゃって」ニューヨーク。マンハッタンのおしゃれな情報をお探しの方は他にたくさんブログがありますのでそちらをご参照くださいね。元・MBAの仕事人、在米約30年のアラ還。アメリカ人の夫とエンプティネスト元年を満喫中。わんこ3匹で毎日がわや、普通の人のアメリカ生活の記録です。

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