今日で14日目にはいる「リンジー・クランシー事件」の公判。事件のあらましと11日目までのまとめは前回のブログに詳しく書いた。

一昨日は、検察側が召喚した解剖医師たちの証言が行われ、幼い子どもたちがいかにして酸素欠乏で死に至ったかという供述が延々と行われた。あまりの残酷さに弁護士が何度も「異議あり」を唱え、嗚咽を漏らし続けていたクランシー被告がとうとう「I can’t do this! もうだめ」と机に突っ伏して泣き出し裁判が中断するに至った。
世間の、特に子どもを持ったことのある女性たちからの被告への共感と同情は半端ない。「一歩間違えばわたしだって同じ状況におちいっていたかもしれない」と思うからだ。
産後の心の状態3段階、マタニティブルー、産後うつ、産後精神病
疲れやホルモンの変化、生活の激変から来るマタニティ・ブルー(英語では一般的に Baby Bluesと言われる)は、2、3週間位で自然と回復することが多い一時的な気分の浮き沈み。わたしもやった。寝てくれない長男の顔を睨みつけて「オイ!そこの赤ん坊!」と怒りを抑えられなかったり、夜中の授乳時に「わたしは一体何をしてるんだ?」と孤独と不安におち入ったこと。出産後女性の50から80%が経験するらしい。
マタニティブルーから一歩進んだ Postpartum Depression ポストパータム・ディプレッション「産後うつ」は、投薬やセラピーが必要な精神疾患で、約10から15%の出産後女性が経験するという。主な症状は
- 強い抑うつ感、絶望感、気力の低下
- 「自分がダメな母親だ」という強い罪悪感・自責の念
- 赤ちゃんを可愛いと思えない、または異常なほど過剰に心配する
- 不眠(赤ちゃんが寝ていても眠れない)、食欲不振
自分も周りの人も「疲れているだけ」「寝ていないから」気分が優れないだけよ、単なるマタニティ・ブルーよ、と思いこみ、赤ちゃんがいるのに自分がしっかりしなければ、という義務感や罪悪感もあわさって、かなり悪くなければ専門機関を訪れたり、投薬を検討するに至らないことが多いという。
マタニティ・ブルーと産後うつの見極めという認識が徐々に高まってきていて、産後の心身ケアのスタンダードとなりつつあったところに、今回、産後うつからさらに深刻な症状 Postpartum Psychosis ポストパータム・サイコーシス 「産後精神病」という精神疾患があることを知った。産後うつよりさらに稀少で、全体の0.1から0.2%(1000人に1、2人)が罹患するという。「精神医学的緊急事態」とみなされていて、
- 幻覚(存在しない声が聞こえる、ものが見える)
- 妄想(「赤ちゃんが害されている」「自分が特別な命令を受けている」などの現実離れした思い込み)
- 著しい錯乱、支離滅裂な言動、極端な不眠や興奮状態
の症状を見せるので「直ちに精神科の緊急受診・入院治療が必要、専門医による薬物療法や医療チームによる24時間の保護体制が不可欠」と書かれている。
リンジーさんは「産後精神病」「双極性障害」だったという認識
今回の公判では、リンジーさんの症状は「うつ」ではなく一貫して「サイコーシス」の用語が用いられており、それに加えて、前回のブログの②の診療機関(サウスショア病院の産後心身ケアの専門外来)では専門看護師が「これまでのリンジーさんの薬物への反応を見ると、もともと双極性障害があった可能性がある」と指摘している。双極性障害を持つ人の間では、産後精神病の罹患率が標準の0.1%からなんと74%に跳ね上がるそう。
彼女の症状はただの産後うつとして扱われるべき疾患ではなかったところを、複数の機関でそれらの診断を見落としていたことが事件の大きな原因だった、と弁護側は匂わせている。
双極性障害の患者にリンジーさんが最初に処方されたゾーロフトなどのセロトニン吸収阻害系の薬を投薬すると「気分はひどく落ち込んでいるのに、活動性や焦燥感だけが異常に高まり、うつと躁が混ざり合った自殺リスクが高まる非常に危険な状態に陥る」と認識されているそうだ。
お医者さんを責めるのは簡単だが
わたしは医師でもなく精神疾患に関する深い知識があるわけではないので、ここまで書いた内容は検索したり聞きかじったりのにわか知識であり、裁判の進行や弁護側の意図についても報道を通しての認識であることをご承知いただきたい。
深く考えさせられるのは、リンジーさんが的確な治療を受けられていればこのような不幸には至らなかったということ、彼女が解決策を求めて複数の機関を訪れる間にどこかで誰かがもう少し時間を割いて彼女の状態を理解してくれていればこんなコトにならなかった、という無念である。
ここで、医療に関わった医師たちを責めるのは簡単だが、そしてSNS上では実際に大変な騒ぎになっているが、
- 医療システムを完全に支配する大手保険会社との兼ね合い
- 厳しい法律
- 勤務先の利益追求型の経営方針
などにがんじがらめにされて、患者一人ひとりにもっと深く関わりたいと思っても、また、この治療では十分でないと自覚しても、保険会社からの指導でままならなかったり、診療許可が降りないなど、医師や看護師個人の能力や感情ではどうにもならない構造になっているのが今のアメリカの医療現場の現実のようだ。
勤務先の機関の患者ノルマが一日に30人!の上、患者と過ごす時間よりもその後の保険関連の書類を書き込む時間のほうが長くて疲弊する、と嘆く小児科医師の寄稿を読んだ。友人の夫は、放射診断医といってMRIやCTの画像を分析して異常を探知する仕事をしているが、以前の勤務先ではそのノルマが30枚だったものが転職先では2倍以上の70枚に増えたそうだ。8時間勤務するとして一時間に10枚弱ということは、一つの画像に5、6分しか費やせないという計算になる。アメリカではMRIなどはかなりマジで必要な場合にしか撮ってもらえないとを考えると、その70枚のほとんどは患者の命に関わる画像である。耐えきれず、彼は3ヶ月で元上司に頼み込んで元の勤務先に戻った。
日本とアメリカの病院経営の違い
日本で病院を経営しているのはほとんどが「医療法人」で、医療法によって「営利目的の参入」が禁止されている。株式会社の参入も利益の配当も禁止されている。なぜ営利追求が禁止されているかと言うと、
- 無理なコストカットによる医療事故リスク(人件費や安全対策費の削減)、患者数の増加と診察の効率化
- 不必要な検査・診療の増加(売上ノルマを達成するための過剰診療)
- 医療過疎の加速(儲からない地方や、赤字になりやすい救急・小児科・産科の閉鎖)
などの恐れがあるから。至極真っ当な考え方だ。
が、そこはなんでもやりたい放題のアメリカ。株式会社が病院を所有・経営できるアメリカでは、
病院全体の20%を占める「営利病院」は完全に利益追求型ビジネスモデルであり、アメリカあるあるのトップCEO報酬は何十億円という規模である。しかも、PEファンドと言って「ビジネスを買い取って利益率を上げ、さらに高い値段で売りさばく」プロたちが大手病院を次々に買収したり売却したりの、完全なウォールストリートモデル。医療で金儲けするという日本から見たらとんでもないことが普通なんである。
60%を占める「非営利病院」のは日本の医療法人に近いものの、利益率によってこれまた何十億規模のトップ経営者の給与が決まったり、税控除が受けられたりと、実態は営利病院と変わらず、これまた患者第一の医療を目指す組織とは程遠い。ここにまた保険会社が絡んで(これはもう本が10冊くらいかける)アメリカの医療は自他ともに認める崩壊状態と言ってもよい。
残りの20%が「公立病院」であるが、予算不足のため施設、技術、医師の質などが他の経営形態に比べて大きく劣っており、選択肢があるならできるだけ避けたい病院、というのが一般の認識である。
つまり、医療の現場で最優先視されているのは、患者のケアでも医者のメンタルヘルスでもなくただひたすらの利益追求と言ってよい。
ホントにパーフェクト・ストーム
お医者さんや看護師を目指す人は「人を助けたい」と言う動機で大変な過程を経て試験に合格するのだから、朝起きて「さ、今日も医療ネグレクトするぞ!」と意気込んで出勤する人などいない。
毎日こなさなければならない診察とそれにまつわるペーパーワーク、一人に時間を取られていては到底こなせない患者数。時間外に「そういえばリンジーさんはどうだったんだろう」と他の病院にわざわざ連絡を取る時間も心の余裕もなかったのだろうと想像がつく。他機関からカルテを取り寄せるには患者本人の同意書が必要だし、きっと上司の承認なんかもいるのだろう。
リンジーさんの転落の過程で、それでも熱意を持って接してくれる医師や看護師がたった一人いたらこんなコトにならなかったのに、と胸が痛む。最初に臨床経験がわずか1ヶ月の医師に当たらなければ。「双極性障害ではないですか?」と聞かれた時に夫が「リンジーは双極性障害なんかではない!」と強く否定さえしなければ、そして医師がその否定に耳を傾けなければ。知り合いの看護師が引っ越してしまわなければ…と今となっては時計を巻き戻してやり直したいと思う不運がそこここに。
まとめ
リンジーさんの公判は、あと2、3週間続く見込み。前回のブロクで書いた通り、この公判では①リンジーさんが実際に子どもたちをさ○がいしたか、②さ○がいしたと立証された場合は「第一級殺人罪」で刑務所に収監されるか「心神喪失による無罪」となって精神科に入院することになるか、と決めることである。今の世論から行って、リンジーさんが有罪となって一生を刑務所で過ごす可能性は低いと思うが、法廷で泣き続ける半身不随のリンジーさん、たとえ無罪が確定したとしても自分の心の中の刑務所から解放される日は絶対に来ない。
今回の事件でなにかしら救いがあるとしたら、まずは、産後精神病への認識の深まり。そして、明らかに崩壊状態にあるアメリカの医療システム、特に精神医療システムについて見直す大きな波を起こすきっかけをになるかもしれない、ということだろうか。
参考資料・サイコーシスとは
ちなみに「サイコーシス」を辞書で調べると、
”サイコーシス(psychosis)」は、日本語では「精神病」や「精神病状態」と訳されます。
精神医学においては、特定の病名そのものというよりは、「現実を正しく認識する能力(現実吟味能力)が著しく低下している状態」を表す症候群(状態像)として使われます。
主な症状
サイコーシス状態になると、主に以下のような症状が現れます。
幻覚(Hallucination)
実際には存在しないものを体験することです。
最も多いのは幻聴(誰もいないのに話し声や悪口が聞こえる)ですが、幻視(見えないはずのものが見える)や体感幻覚などが生じることもあります。
妄想(Delusion)
客観的に見て明らかに事実ではないことを、強い確信を持って信じ込んでしまうことです。
「誰かに追われている」「毒を盛られている」(被害妄想)、「テレビで自分の噂をされている」(関係妄想)などが代表例です。
思考の障害(思考伝播・思考散乱など)
考えがまとまらなくなり、話の整合性が取れなくなったり、支離滅裂な言動になったりします。
自分の考えが他人に漏れていると感じたり、逆に誰かに考えを注入されていると感じたりすることもあります。
行動の異常・感情の減退
周囲から見て状況にそぐわない行動をとったり、強い興奮状態や錯乱状態に陥ったりすることがあります。
逆に、喜怒哀楽が乏しくなり、周囲への関心を完全に失ってしまうこともあります。


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