リンジー・クランシー事件の続報(その2)

アメリカ苦労話・日本大好き

先日のブログ「リンジー・クランシー事件の続報」のフォローアップ記事になります。アメリカでは、この事件をきっかけに「にわか法律専門家」や「司法解説委員」がネット上に続出。先週の金曜日に一応の決着がでましたが、あらゆるところで議論は収まる様子を見せません。

こちらを読んでから今日のブログを読み進めてくださいね。

リンジー・クランシー事件の続報
ボストン郊外のマサチューセッツ州 プリマス高等裁判所で審理が行われていた「リンジー・クランシー事件」。出産専門の 看護師で3児の母、Lindsay Clancy リンジー・クランシー被告が、2023年の1月に夫が夕食のテイクアウトを取りに行...
「審理無効」で裁判は取りやめに

大方が予想していた通り、12名の陪審員が全員一致の評決に到達できず、先週金曜日に判事が Mistrial ミストライアル 審理無効を宣言して6週間にわたる法廷劇は一応の幕を閉じた。

5週間続いた審理と1週間の陪審員評議はすべて無効となり、リンジー・クランシー被告は判決が出ないまま、裁判前と同じ医療的拘束(刑務所ではなく病院に拘束)に戻って今後の動きを待つことになる。

ミストライアルのあとは、

  1. 裁判やり直し(再審)
  2. 起訴取り下げ(クランシー被告は釈放)
  3. 司法取引(量刑・減刑を検察と弁護側が話し合う)
  4. 「裁判官単独審理」に切り替え(陪審員ではなく裁判官が判決を下す)

の4つの選択肢があるそうだ。検察側の意向はまだ発表になっていない。

アメリカの裁判の6%から10%がミストライアルに終わり、その約80%から90%が再審に至るということなので、今回の事件も時期を改めて(遅ければ数年後)再審になるだろうというのが大方の予想。

3回の「デッドロック」- 陪審員の意見が分かれて評決できない

陪審員代表から「12名の意見がどうしてもまとまりません」と裁判官に報告があることをDeadlock デッドロック(評決不能)という。

今回の事件は、1週間の評議の間に3度もデッドロックの報告が出されている。州の法律と裁判官の裁量で「これ以上評議を続けてもムダだ」という判断に至った時点でミストライアル (審理無効)が言い渡されることになっている。

ミストライアル自体は珍しいことではないが、今回の事件はそれに至る経過がすごかった。前例を見ないとされたのは、2度目のデッドロックが報告された時に「裁判官の指示に従わない陪審員がおり、評議の続行がむつかしい」と陪審員代表の添え書きがあったこと。単に意見が食い違っているのではなく、ルール違反をする陪審員がいるために評決できず困っている、との訴えがあったわけだ。

テレビを見ている私たちには陪審員がどのくらいの割合で「有罪」「無罪」を支持しているのか、何人ずつに別れてしまっているのか、この添え書きの持つ法律的な意味など詳しいことはわからなかったのだが、あとになって、陪審員の1人が「有罪ではない可能性もあるかもしれない」と認めているにも関わらず有罪を主張しているらしいことがわかった(アメリカでは「被告が間違いなく有罪と確信できない、つまり無罪かもしれないと少しでも信じる余地がある」とされた場合は無罪としなくてはならない)。

つまり、他11名の陪審員は「クランシー被告は無罪」に同意。クランシー側にとっては、あと一人同意してくれさえすれば勝訴と言う局面。

陪審員の罷免を要求

クランシー被告の弁護士は、陪審員の義務を果たせていないとして罷免を強く要求したが裁判官が却下。もし罷免になっていたら補欠陪審員から1人繰り上がって評議が続くが、それまで35時間以上にわたって評議してきた内容は無効になりやり直しになり、新しい陪審員が「無罪」に同意する保証はない。

罷免にしないのなら陪審員と裁判官が個別面談をして事情を聞き出してください、とした弁護側の要求も却下されて、翌朝、陪審員は元のメンバーのまま評議にもどったが、開始してすぐに「やはり合意に至りません」と報告があった。

検察側はミストライアルに同意、裁判官もミストライアルを宣言しそうになったその時、弁護側から激しく「待った」がかかった。そりゃそうだ。無罪までもう一息というところなのだから。見ているこちらもドキドキだ。

最高裁判所に直訴してミストライアルを一時保留に

「陪審員の義務を明言した合衆国憲法の補足事項6条に反している」として、弁護側は「マサチューセッツ最高裁判所に「差し止め」の緊急申し立てをします」と宣言。言ってみれば、部長の指示に不満があるので直接社長室に駆け込んでやるという感じで、担当裁判官の決定に真っ向から不服を言い立てた形。午後1時頃だった。裁判官と弁護士の間でかなりヒートアップしたやり取りがあったあと、裁判官が「じゃあ1時間だけ保留にするからその間に申し立てができるならお好きにドウゾ」とかなり苛立った声で宣言した。

最高裁判所は、この申し立てを「拒否」または「受理」する選択があり可能性は半々だったが、事件の話題性もあって申し立てはスピード受理されて、その後関係者がズームでヒアリングを行う様子がテレビで報道された。結局「根拠が不十分」として担当裁判官に差し戻されてしまい、午後三時頃、ミストライアルが正式に成立した。

アメリカ中かなりの人がソワソワした2時間だった。

マサチューセッツ州「ルール25条」

前回のブログで紹介した通り、審理の間に明らかになった捜査や事実関係、時系列に説明のつかない食い違いがあまりにも多すぎて、クランシー被告がまちがいなく有罪と言うレベルまで検察側が立証できたかと言うと答えは素人目にはノーである、と書いた。

11名が合意した「無罪」は、クランシー被告が犯罪を犯した証拠が不十分として「完全に無罪(推定無罪)」だったのか「心神喪失による無罪」だったのかはわかっていないが、弁護士の事後のインタビューと、彼が取った行動で「推定無罪」にあと一息だったのでは、という意見がある。その行動とは、ミストライアルが成立した直後に法廷で「マサチューセッツ州ルール25条に則って、無罪判決の申し立てを再提出します」と宣言したこと。

ルール25条なんて、テレビを見ているワタシらはもちろん聞いたこともないが、【検察側の証拠が乏しく有罪を証明できるレベルではないので、再審を行うまでもなく裁判官の判断で無罪とすべき」との申し立てができる】とした決まりのこと。ミストライアル後5日以内に提出する必要がある。

裁判官がこの申し立てを認めるとクランシー被告は「無罪」となり釈放(推定無罪か心神喪失の無罪かはわからない)。拒否すると「再審」などの他の選択肢にむけての手続きが始まることになる。その方向性は9月29日に予定されたステータス・ヒアリングで明らかになるそうだ。

民事裁判、名誉毀損、新セレブの誕生など

クランシー被告と、元夫の両方が医療関係者を相手取った「医療ネグレクト」の民事訴訟を別々に起こしており、この審理が近々始まる。それぞれがネトフリのドキュメンタリーになったような有名弁護士たちを雇っており、それにも今後の注目が集まっている。

元夫は、民事訴訟の有名弁護士の他に「名誉毀損」を専門とする有名弁護士を雇っていて、「元夫が怪しい」とSNSで拡散するインフルエンサーやセレブに対して「訴訟も辞さない」という警告を出した。本格的に訴訟の手続きを始めるのかも注目されている。元夫には事件の起きた町になんと40人の親戚がおり、その中に事件を担当した検察と警察関係者が多く含まれている。昨日は、担当裁判官の甥の妻が元夫の妹であるというニュースが流れた。元夫と新しい妻はすでにネット裁判を受けているかのごとく、と前回のブログに書いたが、確かに興味をそそられる元夫周辺の奇妙な人脈や金銭事情。勇気あるコンテンツ・クリエーターはこれからもネット捜査を続けるのだろうか。

一躍「時の人」となったクランシー被告の弁護人、 Keven Reddington ケヴィン・レディントン氏。クランシー被告のために何が何でも無罪を勝ち取りたいと死闘する姿が1ヶ月半にわたって全国放映され、最高裁に直訴だとか、このルール25条だとか、「ドラえもんポケット」のように裏ワザを取り出し、法廷では時には声を荒げて熱っぽい証人喚問を繰り広げた。

https://www.npr.org/2026/09/04/nx-s1-5950421/lindsay-clancy-trial-verdict-mistrialより

名字をもじって Big Red(レッド大ボス)というあだ名まで付いた。「何かあったら絶対この人に弁護してもらいたい!」と彼の事務所のSNSフォロワー数は以前の数百倍に増えた。

事件の波紋

最初は、精神薬の過剰処方や産後精神病の凄惨さが話題になったが、審理が進むに連れて、世間の関心は、警察の捜査や警察への信用性、法律の適用と弁護と検察の法的攻防…など、もしかしたら自分もいつかお世話になることがあるかもしれない刑事司法への興味、不安、薄恐ろしさへと移って行った。ネットでの異様な過熱ぶりがそれに拍車をかけた。

弁護士の隣に車椅子で座るクランシー被告は、裁判の間中、眉をひそめた悲壮な表情でじっと座っている姿から感情はまったく読めなかったが、有罪でも無罪のどちらに転んでも結局自分の心の中の牢獄に住み続けることになるのだからどうでもいいと思っているようにさえ思えた。事件から数年たった今も常にじ◯つ願望があるので24時間監視体制にあるという。

たった1人の陪審員のために「無罪」がならなかったことを、被告人本人よりも弁護士のほうが憤り、法の知識が詰まったドラえもんポケットを探り続けている。今後、万が一刑事事件に関わるようなことがあったらビッグ・レッドのような弁護士を探してちょうだいよ、と夫には頼んでおいた。

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