….の失敗例について書きたいと思います。
以前職場にお母さんがチャイニーズでお父さんがアメリカ人という同僚がいたんですが、彼はぜんぜん中国語はしゃべれない。それを聞いて、えー、お母さん中国語教えなかったのー、ってびっくりしたのです。私はまだ20代。若かったな。
長男が生まれたときは日本語を教えないなんて選択肢は私の中にはなくて、全くのバイリンガルは難しくても「夏目漱石を日本語で読める程度」(ってけっこう目標が高いか)ということで家では全部日本語で通しました。長男が6ヶ月のときに仕事に復帰してからはちょっとむつかしくなったけど、まあなんとか。保育園に迎えに行くと、息子が周りの人に「デンシャ」とか「ゴミシュウシュウシャ」とか教えてるのはけっこうおかしかったな。
長男が3歳のときに夫が東京に転勤になり、お寺がやっている日本の幼稚園へ。外国人の多い幼稚園も見に行ったけれど、この幼稚園を見学に行ったときに運動場で学年ごとに違う色の体操帽をかぶってお遊戯していて、「ひよこ組」「ほし組」、そして延長教室は「パンダ組」。なんて可愛くて、そしてなんて子どもたちのお行儀が良いの!アメリカの保育園に慣れた目にはもう別世界、すぐ入園をお願いしました。
6歳でアメリカに帰ってきたときには長男の第一言語は完全に日本語になっていて、お寺の影響か「ママ」じゃなくて「お母しゃん」。家では日本語を続けました。
その年に下の息子が生まれ、うーんなんとなく様子がおかしい。年齢が来てもちっとも喋らないのです。言語療法士さんにお世話になり始めました。「家庭ではいち言語にしぼったほうがいい」とアドバイスされ、泣く泣く日本語をあきらめることに。長男とは日本語とおもったんですがね、やっぱり難しくそこからの崩壊?は早かった…
ここで頑張れるお母さんとできないお母さんで道はわかれるんですよ….。
お兄ちゃんは日本語補習校に3年生まで行ったので読み書きは3年生程度。しゃべる方はもう少し幼い。学校では英語だし、なんだかみる間にアメリカンな子供になっていってしまいました。
弟はイングリッシュオンリー。日本人母失格。
さて話はぐぐーっと先送りして、現在。上はまあなんとか喋りますが聞いてると小学3年生。ヒゲ生えてるおっさん風の25歳なんですが。あのね、おかあさん、これね、って感じで結構可愛い。大学3年生の夏に日本の企業で3ヶ月アルバイトさせてもらったときは、多分会社の人には「この子の日本語、プププ」って笑われていたんじゃないかと思います。
下は、英語オンリーなのに私の口癖は完璧な発音で真似します。「あーめんどくさ」「つかれたー」「なにこれ」ってときどき本物の日本人みたいに言うので笑えます。それから私の鼻歌。ユーミンとかオフコースも完璧に歌います。アニメやゲームの日本語も完璧。
そうそう、上の子が大学のときです。親知らずを4本まとめて抜いた全身麻酔から冷めかけた彼が突然、幼稚園の時の日本語で喋り始めたのです。「お母しゃん、どこ?ねえお母しゃん?もう帰る?」って回復室のクッションによだれを垂らしながら…。脳みそっておもしろいですね。
以上、20代で母親の母国語をしゃべれない同僚にびっくりしたくせに自分もこんなです、っていう私の成れの果てのお話でした。



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