スェーデン式終活から学んだ断捨離の極意は「人生のシーズン」

ニューヨーク・旅行・暮らし

ここのブログで最近よく Swedish Death Cleaning スウェディッシュ・デス・クリーニング(スウェーデン式終活)に触れているが、雨の日曜日、本日も朝から「捨てる気」マンマンである。

「断捨離」敗者を今度こそ脱出したい

今まで何度も断捨離に取り組み、そのたびにまあまあの成果は出るものの知らない間に家は元の木阿弥、というパターンを繰り返してきた。片付くと掃除がラクだし気持ちも格段にスッキリすることを実感しつつも、ま、根がだらしないんだろうね。「出したものをすぐしまう」「1分でできることなら今すぐやっちゃう」というてまめなことが出来ないB型。

それが今回はなかなかの成果を見せているのはなぜか。一言で言えば「加齢」のおかげである。ま、やってるのが「終活」なんだから、そうに決まってるんだけどね。

加齢のおかげ

「加齢」がポジティブワードなのかネガティブワードなのかはその人の考え方一つと思うが、わたしの場合は、通常は差し引きトントン、時によりめちゃくちゃポジティブ。体力の衰えと疲労回復に時間がかかるというのは大きなネガティブ要因ではあるが、欲張りで多趣味、体がついていく限り突っ走る体質のB型としては、加齢がうまいことその辺を中和してくれるようになり、肩の力が抜けていい塩梅になったと感じる。

あれもこれもと手を出すことが体力的にもう出来ないんだから、少しは落ち着くというもんである。それが歯がゆい日は、加齢がネガティブな日、それをありがたいと思う日はポジティブな日である(あー、それから美容関係ね、これは100%ネガティブなのは悲しい限り)。

人生のシーズン

人生のシーズン(季節)というのはよく聞く言葉。どう見積もってもただいま絶賛「秋」or「晩秋」真っただなかの還暦だが、「シーズン」は年齢が展開する時のうつろいだけでないナ、と片付けの手を動かしながら考える。

「なんでこんなもん買ったんだ?」と自分でアタマをかしげてしまう物品の数々が出てくる。それを手に入れたときはそのデザインがいいと思ったのだった。前の家にいた時、壁の色をグリーンに塗ったことがあったと思い出す。あは、今では考えられまっしぇん。鮮やかな色のセーターは、着ていて落ち着かないがこういう色合いが好きだったコトをはっきり思い出す。

それ全部自分だけど、違うシーズンにいたワタシ。

ほこりをかぶったアイスクリームマシン。子どもたちのためにクリームやいちご、チョコを混ぜてこまめに作ったものだった。だけど夫と二人でこんなコレステロールの大敵は家に必要ない。子育てのシーズンは完全に終わったのだ。

「飽きっぽいのはよくない」と言われて育ったが

家庭でも学校でも日本では一般に「飽きっぽいのはよくない」とされるが、それってホントかなと疑い始めた時には、世の中がひっくり返って見えるほど目からウロコがぼろぼろ取れたように思う。すぐに飽きちゃったとしても何もやらないよりいいんじゃ?

たしかに最初の数ページしか使ってない立派な日記帳や、編み針が刺さったままの未完成品が次々にでてくると、強い敗北感、そして自分以外のだれに迷惑かけたわけでもないのになぜかふかーい「恥」の波が襲ってくる。

「またやっちゃった」「なんでいつもこうなの」と脳内で囁く、しっかりした方の自分。そういうふうに生まれちゃったんだからしょうがないじゃん、そういうトコ含めておちゃめな自分なんだからさ、とおちゃらけた方の自分が言い返す。

加齢とともにこのおちゃらけた自分がどんどん優勢になり、殆どの場合「ま、いっか」と厚かましく言い過ごせるというのは加齢のくれたボーナス以外のナニモノでもない。

スウェーデン式・終活、プチ成功の秘訣は「シーズン」という唱え言葉

かずかず読んだ断捨離の本の中にももちろん「人生のシーズン」や「人生の段階」という言葉は触れられていたのだろうが、今まで心の琴線に触れた記憶がなかった。スウェーデン式・終活、の考え方が本国スウェーデンでなにを強調してあるのかはもっと本を読んでみないとわからないが、アメリカで流布している筋のスウェーデン式・終活の本や動画から得た知識からワタシなりに解釈した考えかたは以下の通り(まったくトンチンカンだったらスウェーデンの方に申し訳ないが)。

  • 人生には移り変わるシーズンがあり、どの自分も自分として受け入れる。それがいいとか悪いとかでなく、流れていくのが摂理。
  • 年齢としてのシーズンだけではなく、恋人が変わることもシーズンの変化。好きな色が変わるのも、新しい趣味ができるのも、引っ越しをするのも、新しい仕事につくのも。年齢としての大きなシーズンのしたに、人生のあらゆる局面に、細かく別れた様々なシーズンがある。それを四季の移り変わりを受け入れるように自然に受け入れる。
  • あらゆるシーズンで人生の「道具」は変わる、必要なものも好きなものも。たくさんのものが欲しいと思ったシーズンのあとに「もう物はいらない」と感じるシーズンが来るかもしれないし、こないかもしれない。

子どもたちにアイスクリームを作った日々を懐かしく思う。手放すことはその記憶も手放すことになる、というチクリとした寂しさにきっと今まで高い戸棚に入れっぱなして取ってあったのだろうが、記憶は別にマシンが手元になくてもそこにあるじゃんねー???それに気づき、そしてその記憶を胸に抱きながら、洗うのが大変なアイスクリームマシンなぞ、もう金輪際使わんで済む今のシーズンをガッツリ楽しむ。これだ!

具体的には

手にとってすぐに「捨てる」「寄付する」の箱にボンボン入れていけるものもあれば、「うっ」と思わず手が止まってしまうものもある。

  1. 使ってないくせに、また使うかも、いずれ使うかもと思うもの
  2. 子どもが居を構えた時にあげたら良さそうな家電や家庭用品、家具
  3. 買った時に高価だったもの(たった一つ持っているヴィトンのバッグとか)
  4. 一度処分したらもう手に入らないもの(もらったアンティークの食器とか)

である。特に2番。インフレのアメリカで常にビンボーな長男や、来年大学を卒業して寮を出る末っ子がお金を使わずにすむように、と思うと思い切りよく捨てられない。自分のシーズンは終わって捨てるべきものだが、子どもたちに訪れる次のシーズンには役に立つかも、というちょっとやっかいなカテゴリーである。

3番。高かったもの、メルカリで売ったら売れそうなもの。でも絶対写真撮って、商品説明書いて売るなんてやらないだろうしな、でも最近は商品説明もAIで簡単に書いてくれるらしいしな、とムクムクと「もったいない」精神が頭をもたげる。

4番。テレビの「アンティーク・ロードショー」でみてもらったらかなりのお値がつきそうな食器セットや銀製品、美術品。夫の祖母から譲られたこれらは、いずれちゃんとした方法で手放そうと思う。

1番「また使うかも」については過去の断捨離活動で経験値が高くなり、まったく後悔しないときもあれば後になって地団駄を踏むケースもあるコトを会得済み。持ってたことを忘れてたものが案外役に立っている場合もあるというお片付け最大のハードルだが、どんどん「捨てる」箱に入れられる日もあれば全然だめな日もある。もうしょうがない。

物理的に時間がない、というシーズン

一時凝りに凝った「ハワイアン・キルト」。南国風のデザインを一針一針指していく伝統工芸で、見様見真似ではあるが凝ったデザインのクッションカバーやひざ掛けを作った。まあ、一体こんな時間はどこにあったんだろう?と今になっては思うね。ホント若かったとしか(笑)針やテンプレートはきちんとまとめて「寄付」箱に。「トラプント」というこれまた細かい手作業(こんなことやってたのか!)のお道具もさよならーーーー。完ぺきシーズン終わったよ。

年取ると、今まで生きてきた時間が相対的に大きくなるので時間のたつ速度が速まるらしい。科学的論拠はわからなくても、時間がブンブン立っていくのは毎日嫌というほど実感する。

何でもかんでも手を出す時間はもうないし、だいいちそんなことしてたら疲れちゃって。

楽しくて、達成感があって、じっくりと焦らず取り組めるものしかはじめたくないと言うシーズンに入ったのだ。

新しいシーズンを始めるのも自分の自由

とか言ってるくせに、毛糸屋さんで見た「簡易織り物機」が気になって仕方がないワタシ。やったことがないのでとっても興味がある。もしかしたら突然「ウィービング(織り物)やってみよ!」とお店に走るかもしれないが、そのときはワタシの中で「トラプントが終わって織り物シーズン」が始まる、ということだ。

それもよし。だって人生はたくさんのシーズンに彩られているんだもん。その時々でちゃんと自分の後始末をしていけば、これからいくらだって新しいシーズンをはじめてもいい。ふるいしーず

終わったシーズンで使っていたものは人生の「不用品」である。自分にとってはすぎた時間を思い出させてくれるものであっても、他の人には価値がない。そんな不用品、いわば「ゴミ」をドッチャリ遺して逝くのはメーワク以外のなんでもない。

自分に価値のあるものはきっと他の人にとっても価値があるだろう、と思った若い日の自分本意な思い込みにもすっきりと別れを告げることができるのが加齢。いろんなシーズンを通り越してきたからこそわかる「シーズン」の意味。

今まで断捨離を繰り返しては失敗を続けたワタシにもやっとお片付けのシーズンがやってきた。自分で「春」を引っ張ってこようとしてもきてくれないように、今まで待たなければ訪れてくれなかったシーズンだったのだろう。

片付いた家にまた新しいキャンドルやおしゃれな「やかん」が欲しくなる時が来るかもしれない。そしたらそれで、欲しがる自分を甘やかそう。やかんが欲しいシーズンなのだから。でもその時、終わったシーズンのものをきちんと処分してからネ、という分別がついた人生の「秋」である。

コメント

なんちゃってニューヨークをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む