炒り米とバースデーケーキ・アメリカ独立記念日

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7月4日金曜日。今日はアメリカの Independence Day インディペンダンス・デー(独立記念日)で旗日。今年は金曜日にあたってくれたので3連休だ。

今日のこの祭日は、通常「インディペンダンス・デー」ではなく 「4th of July」ザ・フォース・オブ・ジュライと呼ばれる。July 4thではなく4th of July。会話だと短く「4th」となって「4thの予定は何?」とか「4thにバーベキューするから来てね」という感じになる。

そして、4thのバーベキューに呼ばれた夫はさきほど近所の飲み友達の家にいそいそと出かけていった。いや、おばちゃんも呼ばれたんだけどね、今夜は色んなところで花火が上がる。9時過ぎて暗くなると、この街も隣町もその隣町も自治体挙げてバンバン花火を上げるので、おばちゃんはわんこ警備隊(音が怖くて大変)として家に残るのが習わし。以前勤めていた動物愛護団体では、この花火の音が怖くて逃げまどい迷子になるワンたちが必ず数匹保護されてやってきた。わんこにとっては恐怖の4thである。

国あげての祭日に、熱いチャイ・ティーを入れてこうやってひとりでのんびりできるのはなかなかだワン(花火が始まるまでは)。

お茶といえば世界史の教科書で読んだ Boston Tea Party ボストン・ティーパーティ(ボストン茶会事件)。争い事なのにティーパーティ、というのがインパクトが強くて覚えやすかった、この事件は1773年だ。

その頃アメリカにはニューヨークやマサチューセッツなど13の植民地があって、本国の財政難にあえぐイギリスはお茶、お砂糖、紙など輸出品に何でもかんでも「関税」をかけるなどやりたい放題。お茶関税やあくどいお茶の商法に業を煮やした植民地市民が、停泊中の貿易船から今のお金で2億円(!)分のお茶を海に投げ入れちゃった、というアメリカ独立戦争のプレリュードとなった事件。

この2年後の1775年にお茶なんかでは済まなくなって本格的な武力衝突が始まり、独立戦争はイギリス側が降伏する8年後の1781年まで続いた。

アメリカ側の死亡者推定数は3万人、イギリス側が2万5千人。その間に天然痘が流行して、そのため13万人の兵士が病死したという説もある。アメリカ側は人口の1%以上を失ったというから、多大な犠牲を払って手に入れた独立だったわけだ。

武力衝突が始まった翌年にアメリカ側は「独立した国である」ことを主張する Declaration of Independence デクラレーション・オブ・インディペンダンス(独立宣言)を採択。1776年7月4日のことだった。

そこからのアメリカの繁栄は世間の知るところ。アメリカががんがん富と勢力を伸ばしたのは第二次世界大戦後のことで、なんていうかさ、大戦で産業もなんもかも壊滅状態だったヨーロッパや日本とは違って本土は全く荒らされなかったアメリカが世界の経済復活を牽引したから。運が良かったんだよねー。

戦時中の福岡で育った母からは、太平洋戦争中は空襲警報があったら防空壕に入って、缶に入った炒り米を食べさせてもらえてじつは楽しかった、という話をいつも聞いていた。

母より6歳年下の義母(アメリカ人ね)は、太平洋戦争下のコネチカット州で6歳の誕生日を迎えた。クリームがたっぷり乗ったケーキを前にしてポーズをとる義母の写真とパーティの様子を録音した赤いペラペラのソノシートが残っている。録音されたハッピーバースデーの歌とおしゃまな女の子たちの笑い声。

かたや炒り米、かたやバースデーケーキ。国力の差に愕然としたもんだが、ふむ。来年2026年は独立250周年にあたる。アメリカ、大きな転機を迎えていて一体これからどうなるかね….。

 

 

 

 

 

 

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