13世紀のペルシャの詩人、Rumi ルーミーさん、アメリカ(多分ヨーロッパでも)では爆発的に人気があるのに、日本ではあまり知られてないように思う。おばちゃんもこっちに来るまで知らなかった。「文庫・ブッダの教え」で読んだ言葉が日本人には意識的または無意識的に行動の指針になってるよな、欧米人にとってはそういう立ち位置の人で、心に留めておける言葉をたくさん残した哲学者・詩人である。名前は長くてね、ジャラール・ウッディーン・ルーミー。生まれは現在のアフガニスタンだそうだ。
どんなに人気があるかと言うと、アメリカにはRUMIというハーブティのメーカーが有るくらい(笑)あっ、今ググったらお茶だけじゃない!スパイスの会社もあればなんとRumi Matcha ルーミー抹茶という商品まで存在する。「ペルシャ、哲学者、詩人」ときたらやっぱりお茶とスパイスでしょう?というアメリカ人の感覚もなんか笑えるな。抹茶は間違ってるが(こちらがルーミー抹茶のリンク)。
(もしかしたら日本人の「ルミ」さんが始めた抹茶の会社かも?しれんナ、考えてみたら。)
彼の思想をグーグルAIに「簡潔に表現してっ」と頼んだら「普遍的な愛」「寛容な心」「一体性」「自己(エゴ)の超越」「内なる探求」…。ブッダと似てる。現代人の心に響くはずだな。
ひとつ、彼の詩から有名な一節を。
Yesterday I was clever,
So I wanted to change the world.
Today I am wise,
So I am changing myself.
昨日、私は Clever 賢かった
だから世界を変えたいと思った
今日、私は Wise 知恵深くなった
だから私は自分を変えようとしている
「以前の私は自分の頭が良いと自負していたので周りを変えられると思っていたが、人生経験を積んだ今では、周りを変えることはできない、変えようと思ったらまず自分が変わらなければ、あるいは自分を変えることが世界を変える第一歩だ、ということを悟った、というふかーーーいお言葉である。
日本語だとクレバーもワイズも「賢い」と訳がつくが、2つの単語の意味合いは全く違う。cleverは、機転が利く、目端が利く、など実務的な賢さをさし、機械や道具が「これ、クレバーに出来てるわね」というと「使いやすい」「よく工夫してある」という意味になり、人について「あの人クレバーね」という場合は、褒め言葉でありながら、ほんのすこーーーーし「ずる賢さ」の風味をも示唆する微妙な言葉となる。
反して wiseのほうは「賢者」、知識もありながら人格も備えている、尊敬に値する賢さを指す。クレバーと褒められるより、ワイズと言ってもらうほうが格段に価値がある。
13世紀のペルシャ語で Clever クレバーと Wise ワイズ が何だったのか興味深いところだが、ルーミーの詩を訳したのは、ご本人も詩人であるコールマン・バークスという人で、この人の訳の美しさが英語版人気に火を点けたそうだ。
さて、上のルーミーの詩の内容をブッダに言い換えてもらうと、
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこと・しなかったことを見るな。ただ自分のしたこと・しなかったこととだけを見よ。」
「己を律せよ。」
こんなとこでしょうか。アフガニスタンでは心理的距離感があるからか、それともペルシャ語から英語、それをまた日本語に、という翻訳プロセスでもともとの言葉が持つメッセージやエッセンスが薄まってしまうのか?同じことを言っていてもブッダバージョンのほうが胸に響く気がするのはおばちゃんだけだろうか?これがルーミーさんが日本で大ブレークしない一因かと思ったりもする。
んでね、この一説にはたまたま入ってないけれど、ルーミーさんの残した書き物には「愛」という単語がよく出てくる。なんかさ、「愛」の一言が入ると日本人はいきなりテレちゃって座りが悪い感じ、しませんか?
キリスト教で「汝の隣人を愛せよ」と言われたら、「え、いきなり愛せませんよ?」と思うけど、仏教版で同じこと「隣人に慈悲の心を持ちなさい」といわれると素直に「ハイ。」と返事ができる。
「世界を癒すエネルギーは愛によって獲得することができ、限界を持たない愛こそが存在する最大の力である」と言い残したのはかのアインシュタインだけど、何か、非現実的すぎてピンとこないんだよねー。「愛」を「思いやり」と言い換えてもらうとピタッと来る。昭和だからかな。
ルーミーさん、どんなもんか興味があったら、アマゾンの電子書籍でこんなのがありました。

英語版だと、これがルーミーが広く知られるきっかけになったと言われている本。こちらもキンドルで読むことができます。訳者さんが詩人なので、とってもきれいで読みやすい訳。




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